フランスのルリユール:シリル・オルサンギさんに聞く
フランスから発行される社会思想系の機関誌に、音楽や美術やダンスなど、アート全般の話題を提供する繊細な文章の連載がありました。ボランティアでその枠を担当をしていたのが、シリルさんでした。メールで連絡するようになったのち、彼の職業がルリユールであったことを知ったときにはびっくりしたものです。話にはきいていた、フランスの本修復職人と知らずに接触していたとは。ちょうどわたしと世代が同じだったので、感化された映画や好きなマンガなどに共通点もありました。この分野の文化商品の日仏流通・交流は比較的盛んであるおかげです。メールでの話がはずみ、折に触れ子連れで会いたいですね、といい合いますが、現実に会いに行くことはなかなかできません。今回はそんな彼に、はじめて職業について個人的な思いや背景を、じっくりきかせてもらいました。
—– 子供の頃はどんなふうに本と関わっていましたか?
両親が読書家でした。それで文字どおり、本に囲まれて育ちました。思春期にパール・バックの小説を読んだとき、それまでとは違う形で本への関心がぐっと高まりました。僕にとっては書物というのは、いまだに神秘的な記号と文字に結びついた「聖なるもの」です。昔から、秘密の暗号や古代の文明といったものに夢中になりがちです。パール・バックを読んだ当時は、中米の古代文明関係の本をずいぶん買っていました。でもね、この決定的な時が訪れる前は、読書よりテレビが好きだったんですよ。このとき僕のアタマでいったい何があったものなのか、今となっては自分でもよくわかりません。
—– いつ、どのように、この仕事に就くと決めたのですか?
職業は僕が自分で決めたわけではなくて、両親が決めたものなのです。勉強よりも本を読むのが好きなこの子には、いったい何をさせようか、いろいろと考えた挙げ句、「本が大好きだから、本に囲まれて仕事をしたらよかろう」と結論したのです。それでルリユールです。なんたる合理的な両親でしょう! でもまあ、その判断は正しかったんです。パリの私立学校で3年間専門の勉強をしました。その後の兵役期間には、パリにある有名な軍の学校の図書館で仕事をしました。そこでは16世紀から20世紀までのたいへん美しい本を大量に所蔵しています。戦闘技術についての本が当然あるわけですが、それだけではなく、歴史や地理、哲学の本も読むことができました。その図書館には文学はほとんどありませんでしたが、さまざまな古い地図や、都市企画図などはありました。僕は銃の使い方なんてまったく知らないも同然ですから、このまま静かにこの図書館で仕事ができますように、紛争なんて決して起きませんように、と願いながら働いていました。そして数年ののち、パリにある製本工房で働き始めました。それから二つの工房を経て、子供を育てるのによい環境を、ということでフランスの南西部の海辺のこの町、ラ・ロッシェルの工房に来ました。
—– 修復の仕事では、具体的にはどのようなことをするのですか?
多くの場合、工房に到着する本は、製本しなおし以前に本を構成している「紙そのもの」の状態を直す必要があります。そんなときはまず本を解体します。ばらした紙の必要箇所に手当てをしたあと、大きなプレス機にかけて紙の再生をはかります。そうした処理をしてから綴じ直しを開始して、本の形に戻してゆくのです。綴じの作業にも細かい段取りがいろいろとありますが、興味のある方は日本の絵本、「ルリユールおじさん」を見るといいですよ。本当に実際あのとおりなんです。あの絵本はたいへんよく描けていますよ。(ルリユールおじさん いせひでこ 講談社 ISBN-13: 978-4061324657)
手紙の束のような、本の形になっていないタイプの資料は、本の形にして保存するために、紙を縫うことができるよう、いろいろな技術を駆使します。これが本当の製本作業ともいえるでしょう。でも資料がとても古いと、こうした製本作業が資料にとってかえって危険ということもあります。そんなときは、箱で保存するか、糊を使わない軽装の綴じ方にしておきます。素材によって適切な保存方法はさまざまです。
—– 記憶に残るお客さんや、依頼品などはありますか?
たくさんの本を手にしてきましたが、それぞれのことがよく記憶に残っていますよ……。特に思い出深いのは、フランス国立図書館の依頼で作業した、ポール・ヴァレリーの製本ですね。僕はヴァレリーが大好きですし……、といいたいところですが残念!その仕事をしたのは、じつは僕ではなくて上司した。えへへ。でもね、僕自身が作業したものに、映画監督のリュック・ベッソンの本がありますよ。僕らの世代には、彼の映画の影響は大きいですよね。
最近少々自慢に思っているのは、2005年、パリに開館したショアー記念館 Memorial de la Shoah に納めるための、数百冊にわたるほぼすべての蔵書の手入れを担当したということです。僕自身はいまパリを出て、ラ・ロシェルで子供を育てながら働いています。こちらの工房に来てから担当した仕事ではあるのですが、まだパリの記念館へは行ったことがありません。こんどパリへ行く際には、必ず行かなくてはと思っています。この記念館は入館無料です。ホロコーストについて多くのことを学べます。子供も入館できますから皆さんも是非行って見てください。ただ、子供はどの部屋も入れるわけではありません。子供へのショックが強すぎないように、見て良い展示物の段階が考えられているのです。
—– いま興味があることは何ですか?
若い製本家を育てることです。いかに美しく、いかに早く仕事ができるかを、伝授していきたいとおもいます。それから、個人的には、もっともっと旅していろいろなものを見たいです。
—– 見本や目標になるような、心の英雄をあげるとすれば誰ですか?
以前勤めていた工房で一緒に仕事をしたパトリス・ゴイさんのようなルリユールになる、というのは僕の目標ですね。いちばんの基礎から、特別に最高の技術まで、僕のルリユールとしての経験は、すべてゴイさんあってのものです。
思想的な英雄といえば、スピノザですね。スピノザは当時の人としては、ものすごく大量の本を持っていました。僕の考えの基礎となる哲学者です。彼の著した本「エチカ」は、生きる指針になっています。
—– お仕事が、ご自身のお子さんに影響していることなど見られますか?
もうすぐ5歳になる双子のこどもたちは、寝る前に絵本を読んであげると大喜びです。息子は早くも書く仕事に憧れています。娘はもっとイタズラっ子でそこまではいきませんが、それにしたっていいことですよ!ところで僕からも質問がありますよ。ヨーロッパではどうして日本のようなシンプルで美しい製本のあり方が育たなかったのでしょうね。これをずっと疑問に思っているんですよ。
Cyril Orsingher シリル・オルザンギ
フランス西部、シャラント=マリティーム県の県庁所在地であるラ・ロシェル市在住。ルリユールとしての仕事を開始してから12年、現在は市内近郊の工房で働き、複数の専門会社と契約している。6歳になる双子の父親。
インタビュー後記 ◆ シリルさんからは以前、和紙についていろいろ細かくたずねられたことがありました。考えてみると、日本からフランスへ、アニメやゲームや電気製品など現代の最先端的の文化は多く輸出されています。絵としての浮世絵は有名ですが、しかし和本や和紙は関心が持たれているものの、広く理解されてはいません。最後の質問に対しては、まず和紙が日本の植生や水などの気候条件においてのみ生産可能だったということがあげられるとおもいますが、洋紙であっても、和綴じ的なこと自体は可能ではあったでしょう。「シンプルで美しい製本」は、読者が簡単にじぶんで綴じ直しができるところにも特長があります。シリルさんのような方には、ぜひ日本に来ていただいて、洋本技術と和本技術の交換学習に展開できるとよいだろうになと思います。